働き方改革法が成立

6月28日に「働き方改革法」が成立した。
この「働き方改革法」の中では「正社員と非正規労働者の不合理な待遇差を無くす」ために同一労働同一賃金を目指すとしている。

おそらく多くの人が「正社員であろうと非正規(アルバイト・派遣等)であろうと、同じ仕事であれば給料も同じにするべき」として、歓迎すべき事だと思い込んでいる。

しかし、この同一労働同一賃金の考え方は再チャレンジが難しい社会へとつながる考え方である。

 

同一労働同一賃金が既に適用されている外資系企業では

「成果主義」「激務」「使い潰される」といったネガティブなイメージで語られる事の多い、投資銀行をはじめとする外資系企業。

実は外資系企業の多くが既に同一労働同一賃金に近い給料体系を設定している。

多くの外資系企業では採用のタイミングや年に一回の上司とのミーティングの際、自分が今年一年間担当すべき仕事が明示されアサイン(割り振り)される。
非営業職であるバックオフィス(経理財務人事法務等)やミドルオフィス(決済業務リスク管理等)が最もわかりやすいが、例えば経理部の場合、

「日々の支払い業務   :  月〇時間、難易度〇」
「月次単体決済業務   :  月〇時間、難易度〇」
「月次連結PKG作成業務 :  月〇時間、難易度〇」
といった形で業務が明示され、その業務量や難易度の積み上げで給与や賞与が決定する場合が多い。

また、同時に中途採用においても

「銀行単体決算業務経験者」「連結決算業務経験者」

といった形で募集が行われる。未経験者が採用されることは少ない。

履歴書よりも業務経歴書が重視される世界であり、経験=賃金であり、経験がない者にはチャンスさえ与えられない世界だ。

 

「経験が重要視される」社会

これが意味することは「業務経験があれば学歴等は不問」という事であり、見方を変えれば「業務経験がない者」は採用しないという事となる。

そして、この「業務経験」を得れるか否かは「新卒採用での就職先、配属先」によって決定してしまう。新卒採用のタイミングで就職活動に失敗してしまったり、就職後に違う業界に転職を行おうとした場合、「未経験」となってしまい採用されない、もしくは0からのスタートになってしまう恐れがある。

同一労働同一賃金が厳格に運用されてしまった場合、個人営業部門に配属されてしまったら、個人営業については経験があるがバックオフィスについては経験がないため、異動・転職が出来ない状況になりかねない。

同一労働同一賃金は見方を変えた成果主義

また、同じ労働(結果)であれば同じ賃金という考え方は、言い換えれば「立場ではなく仕事の成果(能力差)によって給与を出す」と言い換える事も出来る。

例えば2万円の賃金が貰える業務を経験や能力が高く1日で出来る者と、未経験で2日かかってしまう者がいた場合、1日で出来る経験者は日給2万円だが2日かかる未経験者は日給1万円となってしまう。

これが20営業日続いた場合、この月の給与は経験者は40万円だが未経験者は20万円と2倍の差が発生する。そして多くの場合、経験者には更に上位で賃金が高い業務が与えられていき、その差は開いていく。これは俗にいう「成果主義」と何が違うのか。

もっとも、高能力の非正規の者にとってはとても良い制度だ。経験と知識があれば短時間で高収入を得ることが出来る可能性がある。

既に一部のITや法務、税務、また医療の世界などでは、難易度の高いプロジェクトや手術に一時的に参画し、高収入を得ている者も数多くいる。「結果に応じた賃金」が貰える事は彼らの様な高能力の者にとっては望ましい社会だ。

 

同一労働同一賃金を履き違える事は危険

皮肉にも、現在我が国で同一労働同一賃金を叫んでるのは、「経験が少ない非正規雇用の為」だとしている場合が多い。

しかし、厳密に同一労働同一賃金の運用が行われた場合、彼らは未経験である以上、ステップアップが極めて難しくなってしまう可能性が高い。

また新卒採用の重要性が現在よりも高くなってしまい、現在以上に新卒採用のギャンブル化が進む可能性、また米国同様に、大学院までの進学により「専門性が担保」されて初めてある程度以上の企業へ就職出来る世界になりかねない。またそれは、大学院進学が出来る資産の有無が重要となる事と同義であり、まさに階級の固定化にもつながる恐れもある。

 

「正社員と非正規労働者の不合理な待遇差を無くす」事は歓迎すべき事で推進すべきだ。しかしそれにより、「同一労働」を行う所まで進むことが出来るチャンスを潰すことになってしまっては本末転倒だ。また共産主義的な形となってしまっても労働意欲のマイナスにしかならない。同一労働同一賃金を履き違えると再チャレンジが難しい社会へとつながってしまう。問題の本質は賃金ではなく、正社員と非正規で機会が平等ではなく、再チャレンジが出来ない事だったはずだ。問題の本質がぶれる事なく運用される事を期待したい。